わたしの病気、息子の病気と無意識

昨日、息子は眼の手術をした。

病名は「裂孔原性網膜剥離」「増殖硝子体網膜症」。

最近、ウーマンラッシュアワーの中川パラダイスや、ほっしゃん。がなった病気だ。

彼らの病状の度合いはわからないが、息子の場合は、相当にひどく進んでいる状態で、ほおっておけば、間違いなく失明するところだった。


「なぜもっと早くこなかったのですか」


最初に見てもらった近所の先生にも、紹介されて訪れた大きな病院の担当医にも、そして、最終診察を行ったベテランの医師にも、言われた。


網膜剥離は、視力が著しく下がる、視野が狭くなる、蚊が飛んでいるように黒いものが見える、などの初期症状がある。

息子の場合は、中学3年生の頃(今から2年前くらい)から、左目だけ視力が下がったかも、と言い始め、たぶん、昨年は視野が狭くなったとも言っていた。

だから、その時に速やかに病院に行っていれば、もっと簡単に治せただろうし、視力ももどっていたのだと思う。


なぜ早く病院に行かせられなかったのか。


もちろん、激しく激しく後悔した。

でも、最後の最後のタイミングで行かせることもできた。


これには、わたしの無意識下にあった、ある「信念体系」によるものであった。

それは、「病院に行くと怒られる」「病院(医者)は病気になると怒る」、というもの。

だから、わたしは、余程のことがなければ病院には行かないし、特に「歯医者」が大嫌いだった。

歯の治療自体はなんとか我慢はできるのに、「予約の電話を入れる」ことがもの凄いハードルが高く、延ばし延ばし、ギリギリにならなければできなかった。

「行かなければ」「行って治療して、スッキリしたい」と思うのに、電話が掛けられない。

(行ってしまい、治療が始まれば、次の予約は入れてこられる。途切れるともうダメ)


これは、よく考えてみれば不思議なことだった。

治療は恐くない。でも、安心できない。


そのことを、ちょうどヒプノセラピーの講座でのワークでやってみた。

(不思議なこと、わからないこと、どうすればよいのかは、潜在意識に聞くのが一番だ)


すると、思いもかけない記憶がよみがえってきた。

小学校5,6年生の頃、なぜか母とそれほど近くもない、車かバスで行かなければならないような場所にある歯医者さんに通っていたことがあった。

そこの先生が、「とっても恐かった!!!!!!!!!!!」のだ。

その頃の治療は、積極的に麻酔は使わなかったので、虫歯の治療となると子供には泣けるくらいの痛みだったし、器具のウィーーーーーーーーーンという音もすごく怖かった。


だから、わたしは泣いたと思う。


でも、その先生は恐かった。

苦虫を噛み潰したような顔で、もちろん励ましや労わりの言葉なんかない。

一言もない。

うんでもすんでもない。

ただ、恐い顔をして、時には呆れたような溜息なんかもしながら(たぶんイメージだが)、自分の仕事に集中していた。


そして、治療が終わって、母のもとに戻るのだけれど、母もこれまた優しくない。

小学校高学年にもなって、小さい子みたいにビービーなくなんて恥ずかしい、みたいな態度だった(これもイメージだが)。


とにかく、先生も、母も、「わたしが望んだような優しさや労わり」はなかった。


そして、わたしは、「虫歯になった自分が悪い。だから怒られる。だから我慢するしかない。」と思い、だんだんと、「病気になるのは自分の責任。弱音を吐いてはいけない。甘えてはいけない。」という信念になり、


「病院は怒られるところ。怒られても仕方ないのだから、我慢するしかない。」

「病気」「病院」イコール、「我慢」になってしまっていたのだった・・・・


そのことに、セラピーをするまで全く気付かなかったし、当たり前のことだと思っていたので、セラピスト役の生徒さんに、

「先生、それは、間違っています。病院は病気を治してくれるところ、甘えていいところ、労わってもらえる場所ですよ!!!!!!!!」

と言われた時は、目からウロコだった・・・・

あまりに衝撃的だったので、すぐには信じられず、他に参加されていた生徒さんたちにも確認した。

「みんなそう思ってるの????病院恐くない????」

そこにいた全員が「病院は労わってもらえるところ」と答えた・・・・


そういえば、最近通っている歯医者さんは、先生もとても優しいし、虫歯や歯並びのひどさに同情してくれるし、衛生士さんもみんなとても丁寧で、優しく労わってくれる。

それなのに、わたしはひとりで「怒られないように」頭を低くして、「虫歯になっちゃってゴメンナサイ」という気持ちでいつもいっぱいで、あれが嫌だ、苦手だ、こうして欲しい、ああしてほしい、なんて、絶対に言えなかった。


ああ、今まで、なんて損をしてきたんだ・・・・・・


わたしは残念な気持ちでいっぱいになった。

同時に、息子のことがとても気がかりになった。

小さい頃から、風邪をひいたり、熱を出したり、骨折したりしても、わたしはいたわりの言葉なんてかけたことがなかったからだ。

「病気になるのは自分の責任。我慢するしかない。甘えるな」という憎き信念体系が、そのようなわたしの態度を創りだしていたのは間違いない。

わたしの母も、父も我慢するのが当たり前の人だった。

家族中で、我慢の人だった。

だから、家族で病人が出ても、誰も労わらなかった。今思えばひどい家族である。

でも、他にどのような態度を取ればよいのか、誰も知らなかった。

もちろん、看病はするし、お見舞いにも行く。

ただ、自分が病気になった時、幼いころから誰も助けてはくれない環境にふたりともいたのだから、知らなかったのだ。労わってもらう、ということを。

体験したことがなかっただけなのだ。

特に、父は母に冷たい態度を取るのが癖になっていたくせ者だったので、父の前では決して具合が悪いとか、病気になったので病院へ行きます、と母も私も言えたためしがない。

そのくせ、(3回目、いやそれはどうでもいい)、父は家族の中で誰よりも病気になった回数、入院した回数、救急車を呼んだ回数がダントツに多い。


話しを戻そう、そういう家族でもあったため、それは当然息子にも影響があるかもしれない!!!

そう思って、そのセラピーがあった日に息子にたずねてみた。

「拓都は病院恐くない?怒られると思わない?」

すると、

「俺は病院好きだね。行きたいね。どうすればいいのか専門家のアドバイスがもらえるんだから。」


うーーーーーーーーーーーーーーむ。


大人である。


というか、それが普通なのだな・・・・と改めて思った。

そして、変なわたしの影響を受けていなくてよかった、と安心した。

「ママ、今まで拓都が病気とか怪我とかしても優しくできなくてゴメンね。これからはもっと優しく労わってあげるからね。」と言ったら、ニキビづらの大きな顔をちょっと赤くして、「そうだよ、ほんとそうしてよね~~~」と笑っていた。


その次の週だったか、わたしは朝突然、膀胱炎になった。

膀胱炎は何度もやっているが、自力では直せないほど重症なものは、数年に一度なる。

一瞬、どうしようか、我慢して様子を見るか・・・とも思ったが、「病院は治してくれるところ、労わってもらえるところ、甘えていいところ」ということを想いだし、これは実践のチャンス!!と思い、すぐに近くの内科へ行った。

もちろん、怒られたりはしなかった。(褒められもしないが。)

ちょっとひどい重症だったので、先生は同情してくれた。


抗生物質で治すだけなのだが、なんだか心は安心していた。


でも、無意識は、まだ私を疑っているのか、もうひとつ『テスト』を用意した。


わたしが本当に気づき、潜在意識に変化を起こしたか、確かめる『テスト』がすぐに訪れたのだ。

それが、息子の網膜剥離手術だった。


自分の病気の後、ふと、息子の視力うんぬんの話しを思い出し、その週末に眼科へ行ってきなさい、ということになったのだった。


病状の説明や、手術のこと、回復の具合のこと、たくさんの検査の後に説明があった。

否定的な話しもあれば、希望が持てる話もあった。

最悪は、左目の失明、最高は、視力の回復、という両極端なものだった。

しかも、全身麻酔で行うため、そのリスクもゼロではない。


でも、わたしも息子も、楽観的だった。

いや、わたしは内心、不安で仕方なかったし、もし最悪なことになったら自分のせいだ、と責める気持ちもあった。それらを必死にクリーニングし続けた。


そして、昨日、無事手術が終わった。

当初、2時間くらいの予定だったが、結果的に4時間半かかり、最後はキレそうになったが、病室に戻ってきた酸素マスクをつけて意識がもうろうとしている息子を見て、涙があふれそうになった。

執刀医のベテランの先生が、「思ったよりも手こずりました。でも、うまくいったので安心していいですよ」と言ってくれた時には、先生の後ろに後光が差し、神様に見え、拝みたくなった。


麻酔が切れてきて、吐き気や体の不具合を感じ始めた息子はとても不機嫌で、何度もナースコールを押し、文句を垂れていたが、「それでよい」とわたしはほくそえんでいた。


「病院は、病気を治してくれるところ。労わってもらえるところ。甘えていいところ」


それを、わたしのために見せてくれているような気がしてならなかった。


もちろん、わたしも彼を労わった。

今日は、外は30度を超える暑さで、病室も熱く、微熱もあっ他せいか食欲もない様子だったが、もっていったうちわで、お見舞いの間中、仰いであげた。(それくらいしかできないのが残念だが。)


最後に、わたしが膀胱炎になって、講座を急きょキャンセルしたり、息子の手術のことでも、生徒さんたちに迷惑をかけてしまったが、みなさんに優しく労わってもらえて、本当にうれしかったし、ありがたかったし、感謝感謝の気持ちでいっぱいです。

お陰様で、いろんな気付きをもらい、よい体験をすることができました。

このお礼はいつか、何かの形でお返しできればな~と思っています♡


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